| 1996年7月1日、私たち人物研究会は厚生大臣(当時)である菅直人氏を大隈講堂にお招きして講演会を催しました。
薬害エイズ問題への取り組みと厚生省の責任をその組織のトップが追及していく過程。そしてそのなかで見えてきた一般国民とは少し離れた「役所」というものと行政改革の在り方を語っていただきました。
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薬害エイズ問題と行政の在り方 菅直人、登場。
みなさん、こんにちは。厚生大臣になって、今日で百七十日目くらいになりますが、菅直人でございます。大隈講堂は、これまで私もに、ニ、三度いろいろなサークルから呼ばれて、こうして出席させてもらったことがあるのですが、今日が一番たくさんのみなさんに集まっていただきました。時々、あなたは今が旬だから、あちこちに応援に行くようにと、うちの嫁さんがよく私に言うのですが、少しいろいろな活動をしていることで、今日は多くのみなさんに集まっていただいたのかなと。大変ありがとうございます。
私は三、四十分話をして、後はみなさんの方から、いろいろな質問でもあったら、それに答えろというのが人物研究会のみなさんのお話でありますので、その程度まず私の話をさせて頂こうと思います。
政治の世界へのキッカケ
実は、私は、みなさん方の世代というと、どのくらい前になるのか分かりませんが、学生時代は、東大で安田講堂なんていう、そういう時期でありまして、私が通っていた学校はワリと大人しい学校でしたが、それでも半年くらい大学がバリケード封鎖なんていう時代もありました。
そんなことも一つきっかけになったのかも知れませんが、その数年後社会に出てから、もう亡くなられて十数年たちますが、市川房江さんという方の選挙運動をお手伝いしたことがありました。そんなことからだんだん政治の社会に深入りするようになりました。
人工透析と肝臓移植から〜
これまで、実は私は八回選挙を戦いまして、最初の三回落選をして、そろそろ足を洗おうかな、と思っていましたら、四回目の選挙がやって参りまして、そこで当選ができ、その後、五期目を現在迎えております。
スタートの段階では政党が無かったのですが、その後、これも亡くなりましたが、江田三郎さんが、社民連という政党を作るのでやろう、ということを言われて参加をし、その社民連のなかで1980年に初当選をいたしました。
その時、実は最初の国会での質問で取り上げたのは、人工透析と肝臓移植の問題。相手は園田直。今、その息子の園田博之さんと[さきがけ」で一緒に仕事をしておりますが、そのお父さんが厚生大臣の時でありまして、そういう意味では、厚生省との関係というのは、私にとってはワリと深いことは深いのであります。
川田龍平君母子との出会い
しかし、今年の一月、橋本政権になるということで、実は、まさか私自身が厚生大臣になるとは思ってもおりませんでした。というのは、実は、去年の秋口から厚生省と大喧嘩を始めていたからであります。
思い出してみますと、去年の九月の終りに─。私の選挙区は、東京の三多摩(地区)なのですが、その小平(市)という所で小さな二十人くらいの会合がありました。そこに、あの川田龍平君、そしてそのお母さん、小平に住んでいるという関係もあって、出て来られたんです。
そして、川田龍平君は、自分は血友病という病気を持っている。これは遺伝性の病気で、男の子というか、男の人にだけ現れる病気であります。そして、血が固まりにくいということで、ある意味では大変難しい病気ですが、一九七〇年代の後半から、濃縮製剤という薬ができて、その注射を打っておけば普通の子供たちと同じような活動をしても大丈夫。中学、高校、そういう生活をしてきた。それがある時期に、その濃縮製剤によってHIV、エイズに感染をしているということを言われた。
実は、この濃縮製剤というのは血液を材料にするわけですが、当時、いわゆる輸血用の血液は、全て国内のみなさんの献血から集めた血で賄われていたのですが、しかし、そういう血液製剤と言われるようなものについての材料は、国内の血ではありませんでした。全ては、アメリカの一般の人からお金で買った血を材料にしていたんです。
しかも、この濃縮製剤の作り方というのは、五千人から一万人くらいの人の血を一旦、混ぜるんです。混ぜた上で、そこから色々な成分を取り出して、そして第八因子とか、第九因子の濃縮製剤を作る。
ですから、その五千人、一万人の人の中に、一人でもエイズ患者がいたら、その全体から作られる製剤にウィルスが混入するわけです。
そういうことで、現在五千名の血友病患者の中で、一八〇〇名の人がエイズに感染をし、既に六〇〇人の人がエイズを発病されまして、そのうち四〇〇人余りの人が亡くなっているという。これは大変厳しい病気でありますし、そういう事態が現在もあるわけであります。
そういう中で、川田龍平君やお母さんが、何も自分たちに落度が無い、悪いことは無いのにこういうことになったのは、やはり、これは薬メーカーの責任ではないか。あるいは、国がそういうモノを認めたことが原因じゃないか、責任じゃないか。
そういう風に言うんだけれども、国や製薬メーカーは、いや、大変お気の毒ではあると思う。みなさんがお気の毒だということは良く分かるけれども、しかし、責任と言うことになると、当時のことで言えば、それ以外のやり方は無かったから、大変お気の毒だけれども、責任は製薬メーカーには無い。厚生省には無い、と言っている。
裁判をやって、それなら当時の色々の議論をした経過が分かるだろう。資料があるだろうと言っても、厚生省は、いや、当時の色々な研究班、確か厚生省の予算でやって、課長や課長補佐がその会議に出ていたことは確かだけれど、どういうわけか当時の資料は何処を探してもありません。裁判所から言われても、いや、見つかりません。こんな馬鹿なことがないじゃないかと言って、その小さな会合で、川田君やそのお母さんが話をされたわけであります。
実は私自身はその会合には出ていなくて、私の家内がちょうど同席をしておりまして、順番に、二十人ほどですから、話が終わったあと、自己紹介がてら自分はこんなことをやってます、と言う時に、政治家の奥さんだというか、家内だと言うのが嫌だったと。一体何をやっているんだと共犯のような雰囲気で、言うのが嫌だったと。そんな風に言っておりました。
薬害エイズ問題プロジェクトの始動
私が家に帰りましたら、いやに私にあたるんです。あんた、何やっているのよ、と怒るわけです。まぁ、しょっちゅう怒られていますから、怒られるのは慣れているのですが、どうも、どういうことだろうと話を聞いておりましたら、今のような話で。「あなたも前はいろいろ薬の問題とか、丸山ワクチンとかやっていたのに、最近はどうもそういうことをやらないで、どうなっているのよ」、なんて怒られまして。これは何かやらなきゃいけないかな。そう思っていた矢先に、さきがけ全体としても、この患者のみなさんをお呼びして話をする、そういう機会がありまして、枝野幸男という若い弁護士でさきがけの代議士がおりますが、彼らもこういう問題に非常に関心を持っていましたから、「おい、どうする?」って言ったら、「菅さん、ぜひやりましょう!」と言うものですから、さきがけの中に薬害エイズ問題プロジェクトというのを作って、取り組み始めておりました。
枝野君が中心に委員会で質問する、文書で質問する、あるいは閉会中の審査で証人喚問とか、そういう事もやろうじゃないか、ということを主張する。色々なことをやっていましたし、その裏に私がいることは公然たる秘密でもありませんが、事態だったから、まさか私自身がその厚生省の責任者になるということはないだろうと思っていたのですが、一月十一日、橋本総理の方から、厚生大臣をやってくれと。その直前に武村(正義)さんから聞いていましたけれども、やっぱり本当なんだな、と思ってビックリしましたが、それでは引き受けさせて頂きます、ということでスタートいたしました。
「大臣」とは「何」か?
で、私は一つだけその時、申し上げた。これは、記者会見なのですが、大臣というのはどういう立場か、役割かということです。普通は大臣と言うと、私の場合は厚生省の責任者。厚生省の代表。七万七千人の職員のいる厚生省株式会社とすれば、その社長。こういう立場であるというのは、これは誰もがそう思うわけです。しかし、もう一つ立場があるんじゃないか?
私の場合は、橋本総理に任命されました。しかし、その橋本総理は、国会議員全体が選んで総理大臣に、言わば指名したわけです。その国会議員は誰が選んでいるのかと言えば、国民のみなさん、有権者のみなさん。みなさん方が国会議員を選ぶ。
ですから、間接的では有りますけれども、私は、「おい、菅。毎日毎日、俺は厚生省に行って、ああしろこうしろと言うわけに行かないから、自分たちの代わりに厚生省へ行って、一億一千万の国民のことを考えた仕事をするように。厚生省を監督して、指導して、チェックしろよ」、と。
つまり、そういう意味では国民の代わりにというか、代表として役所に対して送り込まれた人間だ。国民の代表としての大臣なんだ。そのことを最初の記者会見で言ったわけですけども。実は、記者の人に言いたいというよりは、後ろに並んでいた厚生省の役人に聞かせておこうと思って話しておきました。
初仕事は「薬害エイズ」問題
で、最初にぶつかった問題は、この薬害エイズ問題。四百人を超す死者がもう出ているわけですから。飛行機事故でも四百人を超すような事故の時に、当然、事故調査委員会を作る。この問題でも、さっそく作ろうじゃないかと言いましたら、「いや、飛行機事故の場合は、あれは〈飛行機事故調査委員会設置法〉という法律があるので作っているんです」、と。
薬害の場合は、かつてのサリドマイド、スモン、そういう調査委員会なんていうのは作ったことはこれまでありません、と言うから、「いや、なくてもいいじゃないか。初めてでも良いから作ろうじゃないか」、と。しかし、「いや、大臣、とにかく厚生省というのは、大臣がこのことを知りたい、あの資料を見たいと言えば、ある限り外に出ていないどんなモノでも見せますから、知らせますから、何も調査プロジェクトなんていう水臭いことを言われなくても」、と。こんなニュアンスの話でありました。
しかし、私も考えたのですが、ここは水臭くいこう、と。別に私が知りたいから調査プロジェクトを作れと言ってるんじゃないんだ。国民のみなさんから見て、どうもおかしいと思われているから、やはり、それに対してきちんと答えるための調査プロジェクトが必要じゃないかと押し切りまして、一月の二十三日に調査プロジェクトがスタートしました。
それから、十数日経って、二月の九日に薬務局長がやってまいりまして、朝も午後も予算委員会で座っていなきゃいけない非常に忙しい一日でしたが、昼のほんのちょっとした時間にやって来て。どうも重要なことは忙しい時にやって来るのかなと、後で思ったのですが。
それは、「大臣、実は、これまでなかなか探しても見つからなかった資料が見つかりました」という話なんです。で、パラパラッと見ても、小さな字でたくさん書いてある。じゃあ、夕方に記者発表をしよう。とにかく見つかったことだけでも記者発表しよう、と。
何となくその時のムードでは、いや、本当に見つからなかったモノがと言うから、前の日の夜でも何処かの奥の奥から探して来たのかと思ったのですが、夕方の記者会見の前になってメモが出て来た。いつどうなったか全部書いてあるんです。
二週間かけて四階から七階へ
一月の二十三日に調査プロジェクトが発足。私の所に来たのが、二月の九日、大臣に報告。で、いつ見つかったのかなと見ていると、一月の二十六日に厚生省四階の薬務局のロッカーの中で発見と書いてあるわけです。
私の部屋が七階にあるのですが、四階から七階に来るのに二週間ばかりかかっているんです。そうとう大きなビルだから時間がかかったのかなと、厭味の一つくらいは言ったんですが。
そのことが一つのきっかけになりまして、この問題がずっと展開していって、薬メーカーも責任を認める。国も正式に責任を認めて、三月二十九日に正式に、東京、大阪地裁での和解が成立をいたしました。
もちろん、和解が成立したと言っても、その1800人のHIVウィルスに感染している人の状態が元に戻るということでは有りませんので、何とか発病しないような、色々な予防的な措置、あるいは発病を阻止する色々な薬、治療薬。そういうことの手当をする。今、それに全力を挙げております。
また、最近の新聞に出ている第四ルート。これも当初は、「いや、血友病以外にそういう薬を使うことは考えられません」、なんて言う説明を、私に対してしていたのですが、色々な新聞が、こういう例がある、ああいう例がある、どうなんだ。ちゃんと調べたのか、って色々やっているうちに、これは一回全部、根こそぎ調べなきゃ駄目だということになりまして。薬事法に基づいて、当時非加熱製剤を作っていた会社が六社あるわけですが、その六社から売られた薬が、一体どこに売られて、どう使われたのか、全部調査しろ、と。
その調査を四月から始めまして、今、その範囲がどんどん広がっている関係で、まだ完全には解明できておりませんが、少なくとも、いわゆる血友病でない病気。小さな子供さんとか、子供が生まれた後の女性とか、肝臓で検査をした時の止血剤とか、そういうモノで使っているのがだいぶ出てまいりまして、現在、その中から一二名の感染者、あるいは感染者の中から死亡者が出ているわけでありまして、まだまだこの問題はそういった意味では、調査も含めて、しっかりやり遂げないといけないと思っているところです。
エリート官僚達の奇妙な「風習」
そういう事を経験して、私なりに色々なことを感じました。で、日本の行政というのは、一人ひとりのみなさんはなかなかしっかりしている。少なくとも、私の側に来て色々説明するような人はかなり優秀ですし、仕事も場合によったら徹夜の二日や三日はしながら仕事をしている。そういうふうに一人ひとりを見ればそうなんです。
しかし、一つだけ共通の要素があります。それはどういうことか。つまり、今の薬務局長、一年ほど前に薬務局長になったんですが、絶対に前の薬務局長がやったことについては、それはそのことを前提として、それを否定しない。前の局長がやったことは、その通り引き継いで行く。では、その前の局長はどうかと言うと、更に前の局長がやったことを引き継いで行く。更にその前の局長のやったことを引き継いで行く。
ですから、十三年前、加熱製剤の認可をめぐるあの頃に、当時の薬務局長が、あるいはそのもとにいた生物製剤課長が、あるいは他の人が、「今の色々状態の中では、この非加熱製剤を使うしか手がなかったんだ。他のやり方は、後になって言っても、当時の事から言えば、それしか無かったんだ」、という風に言って、それがその後の国会答弁なんかでもずっと同じ答弁になっているワケです。
で、今になって、どうもあれはおかしかったんじゃないかとたとえ思っても、いまさら五代前、七代前の薬務局長がやった時のことをひっくり返す、このことが出来ないと言うか、やらないことになっているんです。役所というのは。
つまり、一旦方向を決めたら絶対に変えないんです。これは水俣病の解決の時に、私も与党の政策責任者の一人でやっていましたが、同じことがありました。とにかく変えないんです。
ですから、今回の問題も、事実の方がどうも間違っていたということになるとどうするか、間違っていたら。私はよく言うんですよ。ナポレオンの辞書に不可能という文字は無い。お役所も辞書には、間違いという文字はないんです。もし、間違ったらどうするか。真っ黒く塗りつぶして分からなくするんです。そうすると、間違いであったそのことが分からないということになってしまう。やはり、この体質は根本的に変えさせなきゃいけないとう感じがしております。 統帥権独立型行政・ニッポン
それともう一つは、行政というのは、特に中央の行政というのは何か?ということなんです。私は時々、統帥権独立型の行政に、今の日本の行政はなっていると思います。統帥権独立なんて言うと、ちょっと仰々しいのですけど。
みなさんもご存知の方があると思いますが、戦前の軍隊。ニ、三日前もある人が書いていました。戦前の軍隊というのは最優秀の若者を陸士とか海兵に集めて、そして色々な教育をして、色々な部門に配置して、世界中のありとあらゆる情報を集めて、そして日本の軍の方針を決める。
その時に、どういう事が起きたか。いろいろ軍がこうしようとする、ああしようとする。で、当時も国会はありましたから、国会議員が、ちょっとあれはいくらなんでも軍がやり過ぎじゃないか。あんなにたくさん予算を取っていってしまうのは問題ではないか。いくら中国とやり合うといっても、あんなやり方はおかしいじゃないか、と言う人はいたわけです。時々いた。あるいは、総理大臣でもそういう事を思った人も多少はいたんです。
しかし、その時、軍はどう言ったか。自分たちは天皇陛下の軍隊であって、天皇陛下の命令は当然受けなきゃいけない。従わなきゃいけない。けれども、なにも国会が選んだような総理大臣に命令される筋合いじゃない。統帥権、つまり、命令権は天皇陛下にあって、国会にはないんだと言って、それを跳ね退けて、そして独自の道と言いますか、自分たちの判断で押し進んだ結果が、あの太平洋戦争ということになったわけであります。
「日本国の官僚」であって、「日本国民の官僚」にあらず
今の霞ヶ関のお役人、さすがに「天皇陛下の官僚」という言い方はしません。日本国の官僚、日本の国の官僚と言います。しかし、その中には一つ文字が抜けているんです。「日本国の官僚」ではあるけれども、「日本国民の官僚」という意識はありません。
憲法何条でしょうか。公務員の専任または罷免する権利は国民固有の権利であると、そう書いてあります。つまり、みなさん方が、公務員、それは総理大臣から、次官から、ありとあらゆる公務員を選んだり、辞めさせたりする権限というのは、究極的には国民が持っている固有の権利なんです。これが今の憲法なんです。
しかし、そんな実感が持てるか。 あの局長おかしいじゃないか、と言ったって、みなさんが揃ってデモをかけたって、簡単には辞めないわけです。大臣が辞めさせようと思っても簡単には辞めないわけですから、そんなに簡単になってません。どうなっているのか?
地方分権を不可能にする『憲法解釈』
つまり、今、日本の霞ヶ関の行政というのは、憲法六十五条に、行政権は内閣に属する、という一項目があります。この言葉を二重の意味で解釈をしているのが霞ヶ関のいわゆる中央官僚の憲法解釈です。
一つは、地方自治体に対して、行政権というのは一旦、国の政府に全て集まってきて、その集まってきた行政権の一部を都道府県とか市町村に、言わば分けてあげています。憲法の規定はそう解釈するんですというのが、まず一つあるんです。
ですから、いくら「分権」と言おうが、いくら地方自治と言おうが、憲法解釈そのものがそうなっているわけです。
しかし、私はこの問題も違うんじゃないか、憲法の解釈そのものが違っているんじゃないか。つまり、主権者は国民ですから。国民がある部分については─。例えば、私は武蔵野市に住んでいますが、ある部分の主権は武蔵野市の市長や市議会に託する。ある部分の主権は東京都や東京議会に託する。ある部分については、国や国会に託する。だから、全てが国で、その下請けが都道府県、市町村という解釈は、憲法解釈からして違っているんじゃないか。
こういう喧嘩を長年やってきたのですが、少なくとも霞ヶ関の憲法学は、今、言いましたように、全ての行政は一旦国の政府に集まる。こういう解釈で、地方分権という考え方は全くありません。
国民がコントロールできない行政
もう一方あるんです。それは、三権分立という言葉なんです。つまり、行政権は内閣が持っている。だから、いろいろ言おうとすると、いや、政治がそれ以上行政に口を挟むのは、三権分立の立場からして、やはり問題じゃないですか、と。 なんか三権分立なんて言われると、私は幸いにしてか不幸にしてか、大学では憲法を学びませんでしたから、中学時代の社会科の教科書を思い出して、モンテスキューとか何とかいう人が、そんなことを言っていたかな、と、ついつい思わされてしまうんです。
しかし、私はその考え方も間違っているということを役所のみなさんに言っているんです。何が間違っているか?
実は、これも何条か忘れましたが、日本の憲法の中に、国会は国権の最高機関であって、唯一の立法機関と書いてあるんです。なぜ、国会の国権が最高機関なのか?これは理由はただ一つです。立法府だからじゃなくて、国民の代表権を持っている機関が国の段階ではこれだけだからです。
例えば、アメリカなら大統領も直接国民から選ばれるから、大統領と国会上院、下院というのは、それぞれが国民の代表権を持っているから、これは、同一の権限であって構わない。いろいろなルールがあります。
しかし、日本の場合は、国会がもし国権の最高機関でない、つまり、国会と行政が同じ立場だとしたら、一体、行政をどうやって国民はコントロールするのか。どうやって行政に国民がイエス、ノーを言えるのか。コントロールできるのか?
できないんです。
ですから、今の日本の憲法というのは、実は行政をコントロールするためには、遠回りで仕方ないんですが、まずみなさんが国会議員を選んで、国会議員が総理大臣を選んで、総理大臣が大臣を選んで、その大臣が少なくとも任免権として行政をコントロールすると。遠回りなようであっても、この道しか実は憲法上ないのです。
しかし、その道すら、実は現実には閉ざされているというか、かなり遠くなっている。どちらかと言えば、政治家も、国民を背にして行政を考えるというよりは、行政を背にして、いや、私のところにちゃんと色々聞いて貰えば、次の新幹線がどの道を通るか教えましょうとか、赤鉛筆で線を引いた、なんていう話も昔から残っていますが。
つまり、行政の情報をよりたくさん持っている政治家が、何となく力のある政治家だ、そういう風に見られてもきたし、考えられてもきたわけです。
戦後を動かした『二つの原則』
今、日本が本当に大きな変り目の時に来ていると思います。これは、私は戦後五十年、その中の四十年くらいは、結果的には非常にハッピーな時代だった。つまり、行政が考えていたこと。それは、戦前の大きな失敗の中で、戦後考えた二つの原則が有りました。
一つは、欧米に追いつけ、追い越せという、経済を大きくしていこうという、この目標。
もう一つはアメリカとソ連の対立の中では、アメリカ・西側と仲良く手を組んでいこうという、この原則。
で、この二つの原則は、日本の国民にとって、ある意味で非常に結果的に良い選択であったわけです。ですから、国の生産が伸びる、経済が強くなることと、みなさん方、私たちの生活がだんだん良くなることは、ある意味では並行的に進んで来たわけです。
しかし、それがほぼ成功しきった今から十年くらい前。もう経済はアメリカよりも、イギリスよりも、フランスよりも、スウェーデンよりも、スイスよりも、一人当たりのGNPは日本の方が上だとか同じだとか言われだした。そういう時になって、あるいは東西冷戦というモノが無くなって、西側東側という概念そのものが無くなった。
その時になって、では、これからどうするんだ? これから日本をどういう方向に持って行くんだという時に、さっきの行政の体質ではありませんが、従来インプットされた方向が変わらないんです。
経済成長と言ったら、経済成長。もうこれ以上成長してみたって、果たしてそのことが本当に一人ひとりの人間の幸福に繋がるのか? それとも、病的な成長はほどほどにして、他の組み替えがあるのか。そういう事を考えなきゃいけない時期にきていても、実はそういう切り替えがつかない。この十年間、日本はある種のダッチロールとまでは言わないまでも、瞑想状態に入っています。
『質』的な行政改革へ
かつて、経済が走り、行政が引っ張り、政治は邪魔をしない程度に飴玉でもしゃぶらせておけばいい。経済一流、政治三流と言われました。今、経済、銀行の偉い人がどんどん捕まり、とうとう最近ではデパートの人まで捕まり、決して政治が一流とは言えませんけど、共に三流、四流であったことだけは間違いなくはっきりしてきたわけです。
行政もその中で、日本の行政だけはと言われたのが、この住専や薬害エイズの問題を含めて、対応力を失っているんです。
こういう行政の質を変えられるかどうかというのが、私は今、日本が国内政治の中で抱えている最大の課題であろうと思っております。
つまり、質的な行政改革ということです。
バケツ一杯の薬を半分は捨てる
色々な面が有ります。私の担当している厚生省のことで言えば、例えば、これは眼の前の話ですが、医療保険。医療費が年間に二十七兆円、現在、かかっています。一年間に五パーセント、六パーセントぐらい上がっています。これは、お年寄りが増えるんだから仕方が無い。その通りなんですが、では、そのまま増えていったらどうなるか。いまでもGNPが七パーセントを超えていますから、どんどん増えて行く。
そこで、例えば同じ二十七兆円使っているわりに、同じ二十七兆円使うんだったら、もうちょっと良いやり方はないの?
例えば、おじいちゃんが身体が弱まって、うちでは面倒を見られない。では、どうしようか。知り合いのお医者さんに頼んで入院させてもらった。入院した先では、点滴を受けて何とかして、入院費の自己負担はほとんど無いかもしれないけれども、誰かが健康保険で負担しているのは月五十万、六十万。では、そういう方たちよりは、もうちょっと別の形で、例えば在宅でいろいろな人が手伝いに来てくれてそれなりにやれば、本人にとってもまだまだ楽だし、あるいは経済的に見ても、そちらの方が有利だ。
つまり、そういう意味では、同じ二十七兆円の使い方を今のままでのやり方のまま膨らませていくのか、その中身を変えて行くのか?
例えば、薬の問題でも、現在二十七兆円の三割、八兆円が薬代で使われているわけですが、なんかバケツ一杯くらい薬を貰って来て、半分くらい捨てているなんていうのは山のようにあります。
なぜ、そんなことになっているのか?
それは、タダだから。
よく、マスコミの人が、医療費無料化、なんて書きます。私は大間違いだと思います。あれは、医療費の自己負担のところを公費に代えているだけであって、お医者さんも、薬代もタダじゃない。全部医療費は有料なんです。単に、本人の負担を他の人が全部負担するだけで、無料化なんていうのは・・・。将来マスコミに行かれる方は、ぜひ言葉は厳密に使ってもらいたいと思います。
失敗から成功へ、成功から失敗へ、大失敗から・・・・
まさに、そういう風に色々な仕組みが、今は成功した後において、このままではやって行けなくなっているわけです。今は医療問題だけを挙げましたけれども、これは金融の問題もありますし、教育の問題もあります。ある意味では日本中すべての行政の中、あるいは社会の仕組みの中で、成功した後の改革が非常に難しい。
これは、亡くなった司馬遼太郎さんがよく言われてました。日本は明治維新では成功した。つまり、江戸幕府の失敗と言いましょうか。その中から思い切った改革が出来た。戦後の日本は成功した。それは敗戦という大失敗の中で、その中から新しいものを作ろうとして成功した。しかし、日清、日露戦争の後の日本は、日清、日露で成功したからこそ、そのあと大失敗をして、つまりは太平洋戦争に突っ込んでいくような軍隊の組織になってしまった。こういうことを時折いろいろな本で言われておりました。
まさに日本は、今、冷戦というこの戦後四十年のあいだ成功したんです。うまくいったんです。うまくいった後の改革ほど難しいものは無いわけであります。
そういった中では、今、私は厚生大臣という立場にありますが、鳩山さんたちが新しい動きを始めようとしていて、しかし、その中身の軸をどこに据えるか。色々と国際問題もあります。色々と財政問題もあります。しかし、そういう国際的な問題、財政の問題を含めて、そういう色々な世界や国内の問題に、きちんと対応できる政治システム、行政システムを作るということが、私は何よりにもまして重大な問題ではないか。
そういった意味では、質的な行政改革というものを一つの柱にして、今の[さきがけ]を更に一回り、二回り大きくしたようなグループというものが出来ないだろうか。こんな話を現在、鳩山さんたちともしているところであります。
若干予定の時間をオーバーしました。
どうも、ご静聴ありがとうございました。
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