姜尚中講演会
姜尚中:政治学者・東京大学助教授  
1997年7月1日 大隈講堂にて

 去る、1997年7月1日、我々人物研究会では、大隈講堂に於いて東京大学社会情報研究所の姜尚中助教授の講演会を催し、そこで「教科書で教えない歴史」に代表される、自由主義史観という独特の歴史認識についてお話しいただきました。
  「自虐」というレトリックによって「真実」を封印しようとするこの「自由主義史観」の危うさを明らかにし、さらに掘り下げてこのようなある意味で「無責任」な歴史観が臆面もなくはびこる現代社会における「問題」を提起していこうという趣旨でお話しいただきました。
  同時に講演全体に内在する、国際社会とりわけ「アジア」の中の日本のあるべき姿を在日コリアの視点から明らかにしていこうという一本のバックボーンを、テキストという形になりますが感じていただけると思います。

 なお、以下の文章は話し言葉をそのまま文字に起こしたため「てにをは」などが文章としてはおかしいところがありますが、そのことを頭に入れながら読んでいただければと思います。

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教科書で教えない歴史っていったい何?
-自由主義史観を問う-

神戸の事件と「俗情の結託」
  えー、日本ジャーナリスト会議というのでちょっと問題提起をしたときに、そのときに、皆さんいまはもう知っての通り、さきほども控室で少し話をしてたんですが、神戸で起きたかなり残虐な事件、これについて私自身も非常に関心を持っておりました。その理由はまぁいろいろあるんですが、一つはこの容疑者とおぼしき人、この人がもしかしたら、私は今先程紹介にあった通り日本の熊本で生まれた在日の二世になるんですが、もしかしてその二世もしくは三世ではないだろうかというふうなあるひらめきがですね、しかもあってはならない、またあってほしくないひらめきでした。
  で、これは昔小松川事件というのがありまして、これはあの映画監督の、今はかなり監督業から撤退していますけども大島渚という人が『絞首刑』という映画を作りました。これはまぁ、在日のある青年が高校生の日本人の女性を殺すという実際にあった事件を元にして作られた映画です。で、そういうような何かこう犯行声明とおぼしきもののなかにある、かなり、まぁ社会および国といえるかどうかは解りませんが、そういうものに対するかなりの根深いルサンチマンというものがあの文章のなかに横溢していて、それに対する私なりの何か危惧感というのが一方ではあったんですね。おそらくこのメディアの側もそういう推定をかなり私はやっていたんじゃないかなと思います。特に関西地区においてはかなりの、民族問題に関わる問題というのが量的にも質的にもかなりテンションの高い情況にありますから、そういう問題がたとえ起きたとしても決して不思議ではないかもしれない。そういう気持ちが私自身にあったわけです。
  で、そういう事態があったときに何が起きるかというと、これは1952年なんですが作家の大西巨人という人がこれは新日本文学というなかで作家の野間宏、戦後文学のなかでも金字塔的な小説を書いた人ですね。皆さんは例えば『暗い絵』とか『真空地帯』という、あるいは『青年の環』とかですね、こういう作品を皆さん知っていると思います。で、その大西巨人という人は後に『神聖喜劇』という何十年かかった軍隊小説を書きました。で、『真空地帯』というこの軍隊小説に対する批判をそんなかに書いてるわけです。その批判の骨子、これは「俗情の結託」というふうに彼は言ってるわけですね。俗情の結託。つまり、「軍隊というものはやっぱりこんなもんか、軍隊というのはやっぱり人間を非人間的に扱うようなそういう世界なんだなあ」ということが、あたかもやっぱりと私たちが読みながら納得するような、そういう構造を作者とそして読み手の間にできてしまう。これを彼は「俗情との結託」と言ってるわけですねぇ。平たくいうと、メディアのなかで大衆のもっている潜在的な願望や攻撃的な意識下にあるものをいわばいろいろな挑発的な言葉を通じて顕在化させ、そしてそういう一つの大衆と大衆にメッセージを発する側との間にある一つのもたれかかりの俗情との結託ができ上がる。
  こういう形でいつの間にかある言説がどんどんどんどん膨らんでいくということですね。そしてそういう言説ができ上がるとそれ以外の話をすることがもうできなくなるし、それ以外のものの見方や考え方が全部切り捨てられていく。で、こういうのを普通私たちは言説というわけですね。で、私は常にそういうことをその事件のときに感じたわけです。つまりやっぱりということ。やっぱりそうかというところの中にある、ある過去の記憶にさかのぼってこの異民族的な人間がいわばある社会の中で抑圧されているならば、必ずそれはばねとなってルサンチマンとなって社会に対してあるリアクションというものをつくりだす。そういう潜在的な可能性を持った人間というふうにその集団を看做してしまう。つまりそのような先入観が、もしそういう事件が起きた場合により強化されるということになるわけです。ですから、そういう偏見の構造と無縁な人もそういう事件が起きることによっていわばその俗情との結託の構造のなかに自分も入り込み、それ以外のものの見方や考え方を捨ててしまう、こういうことがありうるわけですね。そういうことを私はかなりまぁ心配してたわけです。もちろん今、容疑者としてあげられている少年が本当に真犯人かどうかは、これは疑わしきは何とかで、やはり最後まで裁判の決着を見なければわかりません。しかし、一応今の現在の時点で言えることはもし彼が、ま、真犯人であるとして今のところ彼が在日の三世や四世であるというふうには今の現段階ではそうではない。ただ、それでも依然としてかなりの程度日本の社会の潜在的なある部分が暴力的な形で露呈してることはまちがいないと思います。

日本の奥に潜む病理
  よくこういう言い方をするとかならずそれに対する反撃としてこういう事件を社会や学校と短絡的に結び付けるのはいかがなものかという、それこそ短絡的なリアクションがあります。やはり私たちは犯罪というものは、ある社会のなかで起きるわけでそれを生みだす社会というものと無縁ではありえない。人間が社会内存在であれば、そこで起きるありとあらゆる現象もやはり社会との結び付きにおいて生まれているわけで、そういうようなふうに考えていくとですね、私はこの少年のなかにある闇の部分がやはり私は、子供であるがゆえにその闇の部分をストレートに表現してるんじゃないだろうかと。つまり、この社会の持っているその闇の部分を突出した形で、犯罪という形で表現せざるを得ないこういう社会の、今のこの日本の断面というものがですね、しかも僕が危惧していたものとは違って、つまりこの日本の社会でマイノリティと言われているようなエスニックグループの一員であるよりは、かなり一億総中流といわれている普通の日本人の市民的な生活、ライフスタイルを持っているその子弟のなかにこういう事件が起きているということ。つまり、典型的な小・中産階級の子弟だと思うんですね。そのなかに、こういう、ある病理が現われているということはこれはやはり、かなり私は根深いものがあるんではないかと。つまりいままでのように、普通の日本人 対 日本人の外側にいるマイノリティ、という構造ではなくて、その普通のマジョリティの側に、実はかなりの病理的なものが、深く深くですね、根深くいわば社会を亀裂として走っている。そういう様な現実というものを、目のあたりにしてるんじゃないかなと思います。そこには、ある焦燥感や不安、苛立ち、そして非差別と差別意識。亡くなった政治学者の丸山真男の言葉を使えば抑圧異常、上からおおいかぶさってくる抑圧や差別をより下へ下へと転嫁していく。こういうような無限の差別と非差別の連鎖関係というものがどんどんどんどん、いわば下へ下へとあるいは社会の辺境へとあるいは社会の弱者へと向かっていく。それを通じて自分の精神的なアンバランスを修正するという、そういう構造ですね。
  なるほどこれはあまりにも異常でありあまりにも猟奇的かもしれませんが、かなりの程度、わたしたちの日常社会の中でそのような中で初めて私たちの個人としての精神的なバランスや心理的なある平衡感覚というものを作り出しているということも決して否定できない事実じゃないかなとも思います。で、そういうある何か名状し難い不安、そして息苦しさ。そしてその中で、自分より劣ったものや下にあるものをみつけだし、それにある力を加えることによってやはり自分のルサンチマンを昇華できるという歪んだ構造、これは間違いなく私はやっぱりあると思うんです。こういうものが今回の事件でよく現われている。実はこれは必ずしも日本だけに特殊な現象ではありません。現在のフランス、ドイツ、イギリス、あるいは現在というよりは70年代から80年代にかけてかなりの程度ヨーロッパ社会のそして西側の先進国のなかでもかなりの程度ありましたし、今でもそれは形をかえてあると思います。ただ日本の場合にはそれが90年代に入って著しく顕在化するようになった。そういうふうにいえるとおもいます。

いまなぜ自由主義史観なのか
  私はなぜ今こういう話を冒頭申し上げたかというと、この自由主義史観が今なぜ自由主義史観なのか。なぜ今自由主義史観なのかということを考えていくときに、今申し上げたような現象というものがかなりの程度、今なぜということを解き明かす上で非常に重要なんではないかなあと思うわけです。で、今なぜ自由主義史観なのか。このリベラリズム、皆さんはリベラリスムというとどうお考えになってるかわかりませんが、この自由主義という言葉についてこれほど自由主義という言葉をこれほど地に落ちるように踏みにじった自由主義という言葉の使い方はないと思いますが、要するにこの自由主義史観の自由主義というのは善玉・悪玉、そのような歴史のシンプルな見方から解放されて、これはまあウェーバー的にいうと価値自由的に、いわばバイアスなくして可能な限り価値自由的に物事を見ましょう、というそれなりから見るとかなり客観主義的な、そして実証的なものの見方のように、まあ見えるわけですね。しかし、今回の新しい教科書を作る会、このなかに掲げられているアピール文を見ますと間違いなくそこにマゾヒスティックな、自虐的な史観を超克しなければならないと。そして反日的な歴史意識というものをいわば打破しなきゃならないと。そして彼らがつかっている言葉は国史ということがありますね。
  国史、これは英語でいうとオフィシャル・ヒストリーでしょう。あるいはオーソライズ・ヒストリーといってもいいでしょう。国の歴史、国史。で、それを最後に彼らは述べていますね。そして、その国史を立ち上げなければならないということの動機として、アジアはいま新しい、若々しい勃興期のナショナリズムに満ちあふれ、日本はすでに青年期のナショナリズムを終えてかなりナショナリズムというものが衰退しているような時期にきている。そういう日本が新しいアジアのナショナリズムと対抗していこうとするならば、日本がピンチに陥ると。したがってもう一度若々しい世代に誇りをもち、日本の新しいナショナリズムを立ち上げ、国史というものに結集できるような国民意識をつくろうではないかと。こういうのが大体このアピール文の基本的な骨子ですね。
  それは言外に戦後民主主義というものをやはり否定したいと。戦後民主主義というものを否定すべし対象として彼らは見ている。これはいうまでもないことですけども、わずか15年くらいの歴史だったワイマール憲法のワイマール体制は、20年代の専管期のなかでやがてあれだけの平和的な憲法と民主体制を作ったワイマール憲法はドイツ国民にはなじまずに、いわば使い古した草履のように捨てられていきました。で、そういうなかで現れてきたのがいうまでもなく、まぁ、ナチスですねぇ。もちろん私は今のような事態をナチスのような事態と直接的にアナロジーして見ようと思っているわけではありません。しかし、そのときでもナチスの中核にいたのは冒頭私が申し上げた、決して特殊な人間ではなくして、ドイツ人の一般的な家庭を形成していた小市民的なインテリやアウトサイダーでした。この小市民的なインテリやアウトサイダーのこの人達こそがあのナチス革命を担ったわけです。
  で、そういうような、まぁ歴史の教訓というものを考えていくときに今この戦後民主主義を全部ペケと、そしてこれは自虐史観でありアメリカによって押し付けられた日本の本来の姿を否定する史観であると。こういう考え方が、いわば新しい現象として若い小説家やエッセイストやそして漫画家や、かなりの程度いわばニュー・ジェネレイションといっていい人達、そういう人々が担っているというところに私は今までとは違うある流れというものを感じるわけです。で、なぜそうなのか。なぜ彼らはそういうふうになってきているのか。そしてそこになぜ国民は有形無形のあるシンパシーを感じるのか。

「記憶の身体化」
  そのことを考えていくときに、私小さい頃、さきほど紹介された通り私の生まれたところは熊本市で、そこに健軍という、かなりの程度日本の地域的なミリタリズムを担った場所があります。で、私自身は、個人的には自衛隊のお兄さんたちによくかわいがられて自衛隊のグラウンドでよく遊んでおりました。個々の人間から見ると自衛隊に入ってきている人は、あの当時でいうと農家の次男坊、三男坊、いわば農家のなかでは長男としては飯が食えない、かなり恵まれていない階層の人々です。今でも多分そうだと思います。彼らと一緒に遊ぶ中で、いろんなことは教わりましたが、しかし全体としての軍隊というものはやはりもっと違った意味を持ってるわけですね。で、そういうときに私の身の回りに戦争体験を持っていた大人たちが結構おりました。その日本の一般のふつうの兵士たちは何を考えたか。私の小さいころよく思い出すことは、小学生のころでしたがよく、中国に行って華北方面で、あの当時で言うといわゆる彼らの言葉を使うと姑娘(クーニャン)と言っていました、クーニャンと言う若い娘を指す中国人を何人も犯した。そして、犯したあとには結構殺していた。殺していたという表現は使いませんでしたがばつが悪そうに、しかしある種武勇談を話すように、しかしどこかひそひそと話すべきあるしまっておきたいエピソードとして、一般の大人たちはそれを酒を飲むとよく話をしておった。これが実際の現実でした。つまり彼らは戦後民主主義とか敗戦とか平和主義とかそういうこととは関係がなく、彼らが実際に皇軍兵士としていわばアジアで行ったある記憶、このいま記憶の政治学ということがよく言われていますが、その彼らのメモリーというものは自分の身体化された記憶としてずーっと残っているわけですね。で、その時に何か淫びな、それこそ淫びな顔をしながらばつが悪そうでしかし、いい目にあったという顔でした。いまでも私はその人の顔をよーく覚えております。決してその人は普通の、いわば特殊な人ではありませんでした。しかもおそらくは戦後、それなりに普通の家庭を持った人でしょう。これが実際のいわば皇軍兵士の、普通の兵士たちの、私は記憶だったんじゃないかなと思います。
  こういうものが戦後50年間いったいどこで語られてきたんだろうか。おそらく彼らはかつての兵隊兵士であった同期生との間の酒呑み話ではそれをおおっぴらにやっていたかもしれません。しかし家庭の中でも少なくとも戦後民主主義といわれているものが建て前であれいわば言われるようになってきたなかで、子供たちにもおそらくまともにその話はできなかったかもしれません。ただいずれにせよ、そういう話が彼らのある種のジャルゴンとして、隠語のようにして伝えられてきたことは間違いない。これを私の言葉で言うと「身体化された記憶」です。これはイデオロギーや建て前としての自由主義や民主主義や社会的な構成とは違って人間の身体のなかに根深くいわば畳み込まれた記憶ですね。この記憶を上から、しかも通り一遍のイデオロギーで学校社会のなかで教えられるようなイデオロギーやあるいは理念で、覆えすということがいかに難しいかということをいまのこの自由主義史観は私たちに示しているわけです。彼らはおそらくその古い世代の、そして古い世代から淫びな形で伝えられてきたこのある戦争中の身体化された記憶、これをおおっぴらに語れなかった人々がどこかでおおっぴらに語りたい、そういう願望というものを彼らはうまく引き出しているわけですね。つまり本来ならば人前でしゃべれない、決してしかし抜き去ることのできない歴史の記憶、これをどこで語るのか。これは決して戦後民主主義のなかではオフィシャルに語ってきませんでした。それを簡潔的に語っていたのはいわゆる暴言という形での政治家でした。しかし政治家がその身体化された歴史の記憶を語ったとたん彼らは政治の舞台から消えていく運命にありました。少なくとも建て前であれ何であれ、そのような暴言を吐けば自分の政治的な生命がかなり危ういということは、いまの日本の社会の建て前のなかではそう理解されている。しかし、その本音の部分ではその身体化された歴史の記憶はかなりの広がりをもって共有され、受け継がれてきたと思います。そういうものをこんどは名実ともにオフィシャルヒストリーにまで引き上げようというのが、いまの自由主義史観というものの一つの掲げている目的ではないかなあと思うわけです。つまりこれは間違いなく人前をはばかられるような歴史の記憶をはばかられずに、日本人の日本の国民の物語として、ナラティブとしておおっぴらに語ってもいいということをいまやろうとしてるわけです。

歴史との戦い
  で、これは間違いなく反時代的な、あのナチスドイツですらですね、ナチスドイツを経験したドイツですらも、いまそれをやれば歴史的に見ても犯罪としてこれは検挙されるわけです。罰せられる。もちろん、私はよくいろんなところで言うんですが、ドイツ人と日本人と国民という形で比較をして、どちらがアプリオリに劣っているか劣っていないかっていうことはナンセンス。私は日本の国民がドイツ国民より倫理的に、また国民的に劣っていると考えたことは一度もありません。なぜならば皆さんがドイツのいまの状況を比較しながらいまの日本を断罪するのは簡単なことです。よく、日本の知識人のなかにはアウシュビッツに出かけていけば歴史の悲惨さがわかるといいます。でも私にいわせれば、そんなアウシュビッツまで行かなくても日本の至る所に歴史の痕跡として戦争の傷跡は至る所にありますし、アジアに行けばいくらでもあります。なにもドイツまで行かなくても。
  私がいま言いたいことは、このナチスドイツを経験したドイツですらも実は日本以上にいま申し上げた身体化されたナチスドイツの記憶をおおっぴらに50年代まで語ってきたわけです。皆さんは映画のなかで『将軍たちの夜』という映画を観られた人がいらっしゃるかもしれません。あの敗戦からナチスドイツの将校たちが軍歌を歌いながら、自分たちのかつての同期生たちが日本の軍歌を歌い古きよき時代を懐かしむのと同じ様なことが最後の場面に出てきますね。なにも戦後ドイツがナチスドイツを徹底して追及したわけではないわけです。
  で、なにがそれをそうせしめたか。それは言うまでもなく60年代の、とりわけ68年の世界を震撼させた新しい運動でした。68年のプラハの春からアメリカ、フランス、日本、ドイツ、スチューデントパワーが吹き荒れ、そして歴史を見直す動きが出てきました。そのときにドイツでは、あの学生たちはまず自分の父親と母親を対決しなければならなかったわけですね。歴史を清算するということは、結局自分にとって最も愛すべきまず親たちと戦うということなわけです。その結果としてやがて、60年代からドイツはナチスドイツとのいわば歴史的な戦いということを経験せざるを得ない状況になってきたわけです。ですからその背景には歴史との戦いがあったわけです。
  かつてアメリカの『Times』と言う雑誌のなかで、パールハーバーを記念したある特集号のなかに「歴史との戦いは終わったか」、と日本特集でありました。日本は歴史との戦いを終えたんだろうかと。「いや、終えていない」と。「日本は歴史の忘却のなかにある」と。これがTimesの主張でした。考えてみれば、その違いというものは如実にいまのドイツと日本の違いとして現われてきてるわけです。なぜそうなったかということについてあとでもっと詳しく述べますが、要するにそこでは世代間闘争があったわけです。皆さんのなかに例えば皆さんのおじいさんやおばあさん、あるいはお父さんお母さんのなかに自分の食卓を囲んで、そして何かの話のついでに例えば従軍慰安婦の問題やアジアをめぐる問題があったときに、自分の親や自分のおじいさんでありながらかなり自分と違う意見を露骨に聞く機会というものは、ちょっとしたある会話のなかで結構若い人は耳にしたり目にしているんじゃないかなあと思います。そういうときに皆さんは自分の愛すべき父親や自分の愛すべきもっと上の世代と、それをめぐって論争し戦うことができるかどうか。実はそういうことが旧西ドイツのなかではかなりの程度広がりをもってやられたわけですね。そこにまず、いまの自由主義史観がここまで跋扈しているということの歴史的な背景というものが私はひとつあると思います。

自由主義史観の矛盾
  そしてもうひとつは、これはアメリカということでしょう。この自由主義史観がいかに自己矛盾と自家撞着に陥っているかというのはだれでもわかります。なぜならば彼らはおおっぴらには反米ということが言えないからです。もし、自由主義史観が言う通り戦後の民主主義が誤りであり自虐史観から解放されなきゃならないというならば、東京裁判というものを明らかに否定しなければならない。これを否定するということは戦後のヤルタ体制を否定するということです。さらにはポツダム宣言までひっくるめて、そのような戦後体制の根幹を作り出したアメリカと一戦交えなければならない。これは決して彼らが、本来考えていることであるにせよそれは私は表に出したとたん、この自由主義史観を支えている勢力から見放されるでしょう。なぜならば彼らはもっとも日米関係というものを親密にすることについては異議を唱えてない人々であるからです。もしいまの日本に真性右翼がいるとしたならば、ジェニウィンな意味での右翼がいるとしたならばこれは反米にならざるを得ない。私が本当に右翼であるならば、親米を言う右翼というのはこれは偽物でしょう。少なくとも首尾一貫して右翼であるという立場を貫くならば、反米にならざるを得ない。反米になるならば日米安保体制を否定しなければならない。そして日米安保体制を否定し押し付け憲法としての平和憲法を否定する、天皇を元首化するというのが普通の、いわば普通のというか純粋な意味での右翼の首尾一貫したイデオロギーでしょう。
  私はそれをはっきりとだすならばそれはそれで見上げたもので、お互いに論争ができる。しかし彼らは一方ではそのような自虐史観を作り出した最大の元締めであるアメリカに対して反米ということをおおっぴらには言えないまま、もう一方においてはアジアについて反日という形での言説を否定する。かなりの程度屈折した、この、矛先というものを実はアジアに向けてるわけですね。これはまったくのお門違いでしょう。もし自由史観が言う通り本来のオセンティックな日本人を取り戻せと、日本人の本来の道徳、日本人の気概、日本人の国民としての民族としてのプライドを取り戻せというならば、これはアメリカを日本から放逐しなければならない。いや、かつて反米闘争を戦っていた、この韓国の学生たちのようにアメリカ大使館を焼き打ちにするか、それこそ過激にいえばですね。あるいはアメリカのさまざまな機関をいわば襲うか、あるいは襲わなくてもそれに向けてさまざまな言論の批判をやっていく。ところが彼らはほとんどがそれをおそらくやろうともしませんし、またやれないでしょう。なぜならばこの反米ということを言わないまま、いかにして日本のプライドを立て直すかということはですね、これは僕の言葉で言うと、昔ドイツにほら吹き男爵の逸話というのがありまして、泥沼に落ちていく男爵が泥沼で自分の頭の毛を自分の手で引き上げて泥沼から、いわば自分の体を引き上げるというほら吹き男爵のエピソードがあります。こういうことは絶対できるものではありませんね。つまり泥沼から落ちるときに自分の手で自分の髪の毛をつかんで泥沼から引き上げるということはこれはだれがみたって非合理な、ところがこういうことを彼らはマジに言ってるわけです。だからまず我々がすぐわかることは、もう非常にシンプルなんですが、自由主義史観の方はじゃあ反米なのですかということを皆さんまずお聞きしてほしいんです。あなた方はいま即刻アメリカを日本からすべて放逐すべきだと。もし憲法を改正し戦後民主主義を否定しようとするならば、日米安保を即刻即時いわば廃止すべきであるという議論をおおっぴらにすべての人々に向かっておおっぴらに言うべきであるということを言えば、おそらくかれらはそこでさまざまな矛盾を露呈せざるを得ないでしょう。
  そこにこの自由主義史観というものがかなりの程度従属的な性格をもっている。かつて丸山真男という人は1952年、戦後日本のナショナリズムの行く末をいまから約40年昔、こういうふうに彼は予見してるわけです。もしかつての戦前のようなナショナリズムが日本にもう一度よみがえるとするならばそれは日本よりもより大きい国際的な力の従属的な勢力として、日本のナショナリズムはよみがえる可能性があると。彼が言外にいわんとした、日本の国よりより大きい国際的な力とはいうまでもなくアメリカであり、アメリカを中心とする国連だったでしょう。いまの自由主義史観がいうこのナショナリズムは決して日本のインディペンデンスを言うんではなくて、むしろ逆に日本が従属的な立場にあるということ、それを前提としたナショナリズム。これは僕の言葉でいうと従属的ナショナリズムでしょう。この従属的ナショナリズムはその従属性を隠蔽するためにかなりの程度さまざまな攻撃的なレトリックを使わざるを得ない。ですからその点においては、いまの日本の中の心ある右翼からみると、彼らの議論がいかにおかしいかというのはすぐわかるはずです。私自身は決して右翼というものを否定する立場にある人間でもありませんし、またそれを否定しようとも思わない。彼らが一貫していわばその申し上げたようなイデオロギーを持っているならば、この、ひとつの席の中で彼らと議論することができるわけですねぇ。
  しかしこの自由主義史観はそうではない。一方では従属性を持ちながらその従属性を隠蔽するために、かなりの程度いわば弱者というものに対する矛先を向けていく。これはいまの日本のこの抑圧異常の関係をモロに表わしているといってもいいでしょう。で、そういうような自己矛盾をこの自由主義史観は持っているということ。それにもかかわらず、彼らはいわば国史というものを立ち上げたいと思っているわけです。これは私の言葉でいうと国民の記憶ですね。さきほど申し上げた、国民の記憶。じゃあ、ナショナリズムとは何か。私はナショナリズムとは記憶の共同体だと思います。これは決して血統的に、自分が日本人であるということをだれが証明できるでしょうか。皆さんは例えば市役所に行って、戸籍抄本か戸籍謄本をもらって自分は日本人であると言っても、もしかしてそれは改ざんされているかもしれない。あるいは私がそれを改ざんして自分は日本人だといっても、日本語をマザータングとしている私がそう言っても誰も不思議には思わないでしょう。つまり紙切れ一つで自分が日本人であるということを証明するといっても決してそれは最終的な根拠にはなりえない。
  昔、私が法務省に呼ばれたときに、法務省の公聴会で話をしたときに、日本人とは誰ですかというふうに言ったときに法務省の役人が答えたことは、国家が日本人と認定する人間が日本人であると。これはなるほど正しいわけです。法務省や国家の役人からすると、国家が発行するドキュメントによって初めてその人間は証明書として、初めてそれは日本人であることが証明できる。つまりそのことは、日本人とは何かということは客観的な証明する根拠はどこにもない。じゃ、何が自分たちを日本人たらしめるのか。それは記憶でしょう。自分がオギャーと生まれ、ある家族と地域社会のなかで生まれ、やがて地図を知り、町から地域から県から日本列島からそして世界へと、このなかで言語を通じて国語という日本語を学び、そして日本列島という国土というものがあるということを学び、そして日本文学という一つの国民的な文学を学び、そしてそのなかで自分にいわば記憶というものを、自分と同じような記憶をいわば共有する人々をやがて「私たち日本人」というふうに皆さんは考え、そして国家というものがあるというふうに私たちは考えていくわけです。

国家とは何か
  そう考えていくときに初めて国家というものが、自分にとってある一つの実体的なものとして見えてくる。そしてそれがやがて皆さんが外に出かけるとき、国が発行するパスポートという形で初めて自分は日本人であるということを改めて確認する。しかしその記憶というものをどういわば忘却させ、新しい記憶を注入するのか。ここに初めて歴史というものがいかに大切かということが、改めて浮上してくるわけです。それは日本人を日本人たらしめる記憶装置を変えるということですね。SF的かもしれませんが、その記憶装置を変えることによって、人々は完全にある出来事を忘却したり、ある出来事がフィクションであってもそれがかなりの程度リアルな記憶としてよみがえる。こういうような作業をやる人々、それが典型的には歴史家であり文学者であり学者なわけです。そしてジャーナリストです。で、こういう、いわば、なかで作られる自分たち日本人日本国民の物語。これが国史に収斂しようとしてるわけですね。
  で、私は国史というものや国家というものを糞食らえと思ったのは、私自身が、自分が失郷者というかあるいは離郷者というか国をもたない、いやなるほどおまえは在日という形でいわば自己紹介や他人から紹介を受けるときには必ず在日という一つの常套文句がついた僕のアイデンティティになってます。しかし私は決して在日ということで自分すべてが言い表せるとは思いませんし、皆さんも自分が日本人であるということによって例えば前田某という個性のすべてが言い表せると思ってる人はいないと思います。私もそうです。また同時に自分がたとえ国籍の上で、いまの朝鮮半島の南側の国籍を持っているにしても、私にとって大韓民国という、韓国という国は決して私にとって祖国ではない。少なくともそれを、ドイツでいうようなファーターラントといったり、マザーランドと言えるような、母国といえるような代物ではない。じゃあ、日本もそうか? 私にとって日本という国が、決して祖国だとは思わない。しかし自分が育ったある地域のある山河やある人々は私にとっては忘れられない一つの記憶として私のなかにある。もしこれを愛国主義ではなくして自分が生まれ育った、この身近な世界の失われた世界に対する誰もが持つノスタルジーであるとするならば、それをパトリオティズムと言っていいでしょう。パトリオットというのはまさしく自分の故郷。これは決して国家という形でのステートではなくして国という形、あるいはドイツ語で言えばラントということでしょう。で、そういうようなものに対する愛着はあります。
  また、私がなぜその国史ということに対して、生理的な違和感を持つかというと、私はかつて大学生、この早稲田大学の学生であった頃、自分が一世になるある知り合いを通じて福岡の入国管理事務所にいわば韓国に行くための手続きを私がやっているときに、その入国管理事務所にいた日本の法務省の出先機関のある人物は、この一世に対して、あるいはその周りの一世に対して、どんな暴言を吐いていたかというと、名前と自分の本籍の書けないこの在日一世を激しく罵っている光景を私はかなり鮮明な記憶として覚えております。つまり、おまえたちは日本語も書けないのか、ということです。じゃ、その在日一世が福岡にある韓国の領事館に行ったときに、今度は向こうから発行するパスポート、このパスポートを発行してもらうために、必要な書類をいわばいろいろ書き込んで出さなきゃならないときに、この一世は自分の母語であるべきハングルを書けない。するとこの書けない一世に対して二十前後の本当にポッと出の若い、この末端にいるある女性の事務員は何と言ったかというと、あなたは韓国人のくせに韓国語が書けないのか、と言ったわけです。
  この時に私が思ったことは、いったい国とは何なんだろうと。国を代表するこの二つの機関は、いわばその国の間に生きているこの人物、あるいはこの人物と同じような境遇にある人間に対して、ある一つの国に属している人間はその国を形作るべき国語としての、このナショナルランゲージを自由に操るのが普通であり、それを知らない人間は欠陥人間であり非国民であると。つまり間違いなくこの一世の人物やそれに類する人々は、いわば向こうからも非国民と言われ、そして日本の国家からもいわば文字すら自由に操れない極めて劣った人間として扱われる。つまり国家というのは一体なんなのかということを私はそのときにかなり自分自身のなかに、胸に刻んでそのとき考えざるを得なかった。つまり国家はかくもあるときにおいて人間に対してこれほどまでに、いわば酷薄な顔というか残酷な顔、冷たい顔をすることができるのか。またそれを平気で担う個人というのは、個人と個人とのシンパシーではなくして国家という甲羅を背負った人間としてある個人に対してこれ程までにある一つの権力というものを行使できるのか。その時から私は国家というものに対するある種のクエスチョンマークをつけざるを得ないという、まぁ一つの記憶というか、それこそ。それを私自身は自分の問題関心として考えるようになった。
  ですから、その国の歴史、そして国民の愛国心、国にプライドを持ち国家の隆盛とともに個人もプライドを持ち国家の没落とともに個人も消えていく、国家と運命をともにする個人というもの。こういうものがあるとして、こういうものの考え方の中で歴史を、いわば立ち上げようとする、これがいかに暴力かということを私はそのときに感じざるを得なかったわけですねぇ。つまりそのときに国家を主体とするナショナリズムや、ナショナルヒストリーというものがいかに、その犠牲になった個人というものを踏みにじり、そして一度ならず二度も三度も人間を暴力的に踏みにじっても依然として国家というある一つの幻想の花輪によって、ある個人が起こした犯罪的な出来事や被害というものを、この国史の花輪ですべてをいわば抹殺することができる。これはまさしく暴力的な記憶装置ですね。で、こういうものを解体するということ、こういうものを解体して人はいかにして国家というものを経由せずして、この国境で分断された人々がどういう関係をつくれるのか。これを考えていくことがおそらく私は21世紀、つまり20世紀の100年の血生臭い、この国というものやナショナリズムというものから生まれてきたさまざまな負の歴史なり、この膨大な累々とした屍を乗り越えていくための唯一の私は道筋ではないかなあというふうに、自分自身ではまぁそう思ってきたわけです。ですから私がこの自由主義史観を批判するときに、逆に私が自分のナショナリティが属している韓国のナショナリズムを通じて、日本のナショナリズムと対抗しようとしているのではないということをまず誤解しないでいただきたいんです。で、にも関わらずこの国史やナショナリズムはかなり単純でありそしてかなり人を説得させる、そのようないわば魔術的な言語でもあります。で、そういうものを若い世代がそれに対してシンパシーを持つようになった。これは何故なのか。このことをもう少し、戦後史というものを見直す中で考えていきたいと思います。

大東亜戦争の虚妄性
  私はさきほど学校教育の中である子供へのこのような様々ないじめ、例えば学校の中で子供が子供を殺したときに、校長という学校社会の現場の最高の権力者が子供たちに対して、生命を、命を大切にしましょうということを高い壇上から、このような場(講演台)から生徒たちに対して教訓を垂れたとき、もし私がそこに学生としているならば、ほんとに唾でもひっかけてやろうという気になるかもしれません。そんなことでどうして命ということが大切にできるでしょうか。彼らがいっている言説はもうおそらく子供たちにとっては、全くの絵空事、何ら実体を伴わない、いわば空言に等しい。そして言ってる本人も、多分そこには自分の言葉がいかに生命のない空々しい言葉であるかっていうことを実は自分自身がよく知ってるはずです。にもかかわらずそれを言うということは、彼が学校社会のなかで現場の最高権力者であり、そのようなハイエラルキーを担っている一人の教員であり、現場の教育のなかの最高の権力者であるというその権力という立場において、彼は唯一自分のそこでの言説を支えてるわけですね。
  何故こんなことになったのか。その一つの遠因は私はやはり私の言葉を使えば「清潔史観」にあったと思います。私はもし藤岡さんたちが言う自虐史観というふうに彼らが言っている戦後民主主義の歴史観を言うならば、より厳密に言うと括弧付きですが「清潔史観」といっていいでしょう。それはどういうことか。すべていわば悪かったとおぼしきもの、しかもその悪かったという価値観は自分たちよりより上の占領軍が作り出した価値観を基準にして、そこから悪いというものを教科書を黒墨で、墨で全部つぶしていくような、こういう在り方を私は清潔史観といっていいと思うんです。教科書で日本のファナティックなナショナリズムを書き立てるようなすべての記事を全部墨で消していく。これによって一応歴史は忘却されると。そしてそれは古い過去のことであり、新しくよみがえった日本は広島と長崎の最大のいわば被爆のいわば被害者として平和を唱えるべき資格を持った新しい新生日本の民主主義の立場に立った新しい日本人として新しい世界観と新しい憲法の下によみがえると。これはまさしく戦後作られ捏造された戦後の出発点の起源神話でした。私に言わせればこれは間違いなく起源神話でした。
  あらゆる国の歴史は国史を語る以上は必ず起源の神話を持っています。そしてフランスのあのルナンという人が言った通り、ナショナリズムつまり国民とは忘却の共同体であると。フランス人というものができ上がるためにはフランス人以前に存在していた様々ないわばエスニックグループの歴史を全部忘却して、いわば自分達がフランスの国民であるという自覚を持って初めて国民は国民として成立すると。つまり、戦後民主主義の始まりはこれは忘却から成り立っていたわけです。何故か。これは昭和天皇が1941年の開戦のときも終戦のときも、皆さんはあの昭和天皇が語った言葉を文言通り読んでいただきたい。「億兆一心」となっております。「この戦争は朕のための億兆一心の総力戦である」と、あの太平洋戦争を。億兆一心ということは、兆という言葉はこれは誇張された言葉であり、億というのは一億です。あの時点において日本の列島と日本帝国を全部合わせてもいわゆる日本人、つまり日本の内地に戸籍を持っている日本人は7000万人もいなかったと思います。3000万以上はこれはいわば異民族でした。朝鮮戸籍、台湾戸籍を持った帝国臣民としての異民族でした。つまり戦争の始まりも戦争の終わりも、この戦争をいわば宣言しそれを終息させた当の人が異民族もひっくるめて含めてこの戦争が始まりこの戦争が終わったと言ってるわけです。ところが皆さんは日本国憲法のいわば国民としての要件を見ていただきたい。憲法第10条に日本国民たる要件は法律においてこれを定むると書いてあります。これは言うまでもなく国籍法でしょう。その国籍法のベースにあるのは言うまでもなく戸籍法です。そうすると本来日本が平和憲法を作り独立するまでこの億兆一心の戦争を担ったこの人々のこの3000万以上は間違いなく日本の国民としての資格を持ちそして憲法を制定すべき国民の主体としての仲間でもあったわけです。
  よく私は大東亜戦争にも一分の理があったと言う人々によく言うのは、もしそこに1%でも理があるならば、同じ戦友であった人間たちに対して戦争が終わったとたんにこの人間たちをみなし規定として外国人扱いをし、そしてこの外国人扱いをする最後のいわば天皇の勅令が発せられこれは天皇の勅令の下にいわばこの出入国管理といいましょうか外国人管理の最後のみなし規定が行われ、そしてサンフランシスコ講和条約で日本が主権を回復して真っ先にやったことは軍人に対する軍属に対する恩給と、そして様々な手厚い国の保護でした。いまでもこの財政赤字のときに、この遺族の人々に対してと言われている一時金やこの予算というものが膨大な支給額というものがいまでも払われ、そして遺族会館といわれてるものに100億だ200億だというお金がいわば国のいわば財政として払われ、そしてそこからはじき出された人々が税金としてその一部を払っているというこの不条理をどう考えたらいいんでしょう。私は大東亜共栄圏にもし一分の理があるならば、なぜその人々を戦友として手厚く、軍人軍属と同じように手厚い保護を与えなかったのか。これだけ見ても大東亜共栄圏といわれているものがいかにまやかしであったかということは、この戦後の在り方を見ればすぐわかるはず。大東亜共栄圏で、いやなるほどアジアに対する侵略はあったかもしれない、しかし欧米帝国主義との戦いにおいては一分の理があった、これは帝国主義戦争であり、したがって大東亜戦争少なくとも太平洋戦争以降の戦争は決して中国や朝鮮半島への日本の進出とは違った意味において日本の側にも国土の防衛、国家の防衛として何らかの理があったと。で、しかしながらその実体が戦後いかに虚妄であったかということはいま申し上げたことによって裏付けられたわけです。私はこの3000万の切り捨てられた人々を戦後も同じような立場で遇していたならば、いまでも私は半分は日本の大東亜戦争というものを半分は肯定したくなるような気持ちになっても決して不思議ではない。しかし、これは100%虚妄でした。虚妄であるが故にこの従軍慰安婦という問題も、こんな扱いを受けているわけです。

従軍慰安婦問題について
  従軍慰安婦という言葉は歴史になかった。その通りでしょう。しかし、みなさんも考えてすぐおわかりになる通り徳川幕藩体制のなかで鎖国という言葉を幕府が使っていたでしょうか。鎖国という言葉自体は明治維新になってから造語として、かつての過去の出来事を説明するために作られたものです。しかし私たちは鎖国という言葉を使って少なくとも徳川幕藩体制のある外交政策をそこで一応考える。ならば従軍慰安婦あるいはセクシャルスレバリーという言葉を使ってもいいでしょう。その言葉を通じてその実体は明らかです。しかし、この女性たちは挺身隊と呼ばれました。挺身隊といわれたとするならば彼らがいう論理をそっくりそのまま使えば、この由緒正しいそして天皇の軍隊である皇軍に仕える、国のために働いた女性たちというのは挺身隊ではないでしょうか。たとえ春をひさいだという形であれこの挺身隊という人々は皇軍とともに歩んだわけであり、もしそれならば彼らの論理からすれば同じ戦友として手厚くその補償について保護されるべき人々だったでしょう。ところがいまの扱いは彼女らが言っていることをすべて捏造とごまかしとそして金欲しさのためのいわばある種のデマゴギーの様な扱い。そしてこれを歴史の闇のなかへ葬り去るだけではなくてこれは恥ずべき、いわば彼らはそういわないにしてもいわばお金のために自分の体を売った人々である。いや、私はお金のためにも春をひさがなきゃならない人々がいたことを決して卑しめる意味で売春婦という言葉をいうわけではありません。いま社会学や巷でうわさになっている援助交際というものをそのまま歴史に当てはめて、あの時代においてもいわば個人契約としてそのような売春が行われたなどというノー天気なことを言っている人間がいるとするならばそれはまさしく歴史に対する冒涜であり、あの時代において大半がというよりはほとんどが貧しさ故に借金の形としてですね、日本の女性もいわば売春婦として春をひさがなければならなかった。これは歴史の事実でしょう。
  身売りをしなければならない若い女性たち、そういう人々が日本の本土の中にもおり、そしてさらには膨大な数の植民地の人々がそこに動員されたということ、これは強制的に行われたのか、その強制と言う言葉の定義をどこまで厳密に考えるのか。これを僕の言葉で言うといわゆるこれは「為にする水掛け論」ですね。強制性があるということを換言を通じて相手をだますということ、あるいは暴力はふるわなくてもそれに近い状態でいわば強制力を振るうということは、ここにいらっしゃる女性たちは例えば軍というものがどういう性格のものであり、軍に命令された人々がどう動くかということは軍事政権下にあった女性たちやいろいろな状況を見ればすぐわかります。韓国の中でひところのあの軍事支配があったとき、軍というものがどんな存在であるのか、これは私も海外に居たときに初めて接したあの光州事件を見ればお解りになるでしょう。自分たちの、自国の国民に対してすらもあれだけの無残なことをやってのけられる軍隊というものは、これはいつでもそのようないわば女性と、あるいは性暴力と軍隊というものはある意味において近現代史の普遍的なテーマです。ならばそれが国策として行われたとしても決して不思議ではないし、またそういうドキュメントがあったとしてもわれわれが通常のコモンセンスで考えれば今のこんな時代に、しかもこれだけ情報公開が行われてもエイズに関わる国の政府や関係省庁のガードの高さを考えると、さまざまな資料が隠匿されたり散逸したり焼却されたということは少なくとも通常の想像力がある人間であれば誰でも理解できるはずじゃないでしょうか。そしてしかも、そのような事実があったことを証明しろという挙証責任を被害者に対して求めている。これは皆さん、例えば女性で強姦をされた場合にその女性が強姦をされたということを裁判所が公において挙証責任をその女性が負わなければならなくなったとした場合に、これは少しでもいまの私たちのこの市民社会のルールの中でもどれだけたいへんなことかということは、少しの想像力を働かせればだれでも解ることですね。
  もしこれを、いやそれは女性が男性を誘惑した、例えばある中学校・高校の歴史教科書を通じて子供たちに日本の植民地支配について教えた先生に対してある生徒が、この朝鮮半島という女性が日本という伸び盛りの男に対して股をひろげて誘惑してたんだからその日本という男性が誘惑に駆られて相手に対して押し入ったとしてもこれは仕方がなかったんではないかと、こういうことが感想文として書かれていたそうです。実はこれとほとんど同じことを福沢諭吉が日清戦争より前の段階の『通俗国権論』のなかで「東洋の政略果たして如何せん」というような、その当時の新聞のなかにほぼ同じことを彼は述べております。つまり今の朝鮮半島は清国という国と、そして日本という国の二つの男をいわば手玉にとろうとしている女性に例えられています。本来、この帝国主義的な植民地というものはヨーロッパにおいても実はメタファとして、比喩としてセクシズムを使うんです。決してこれは福沢諭吉のオリジナルなメタファではないでしょう。そしていまもそのようなことが繰り返し繰り返し使われるということは実は帝国主義や植民地主義とセクシズムとは明確にあるルーツがどこかで同じであることをわれわれに示してくれているわけです。だからこそこの従軍慰安婦をめぐる問題はかなり重要なテーマとして浮上してきているわけです。このときにこうした扱いを受けた女性たちは二度も三度も死を宣告されたに等しい事態というものを平気で許しているということについてやはりわれわれは、いやそうではないと、もしそれを許すならば自国民のなかの女性に対する性差別というものを許していくことになるでしょう。
  かつて、この問題を扱った韓国の若い女性の監督は、『ナルムの家』のなかの、作った監督はですね、「これはあなたたちだけ、私たちだけの問題ではない、みんなの問題である」と。この戦争中に行われた、この日本がやったこのような行いを韓国はベトナム戦争でやり、そしてそれと同じ様なことがボスニアでおき、このようなことがいまでも地域紛争のなかで起きている。つまりこれはある普遍的な問題を私たちに問うているんだと。それは決して国民の恥であるとか国民のプライドが傷つけられるというそのような、このエスノセントリックな自民族中心的な狭い了見の問題ではないんだと。これを通じて自分たちは韓国の軍隊がベトナムでやったことを追及し明らかにし、そしてボスニアで行われたこともまた追及し明らかにしていく。こういうことを彼女があるインタヴューのなかで述べておりました。
  私はそれを読みながら痛く感動しました。つまりこういうことを言うような若い世代があの韓国社会のなかにも出てきている。言うまでもなく韓国という国はベトナム戦争に参加し相当な数のベトナム人を虐殺し、いまでもベトナム孤児といわれている人間たちを放置しているのが現実です。早晩必ずこの問題は大きなテーマとして浮上してくるでしょう。つまり私たちは国史という形で人間を分断して歴史を見る限りそういう問題がみえてこない。そうではなくして、国史とは違う視点から人間を見ていったとき初めてこの国史というものからいわば外れた部分でそれとは違う部分でこの問題を見定められる私たちのまなざしというものができてくるということになりますね。おそらくこの問題が自分たちの国の問題になったときに韓国の内部でも、いや、あれは自分たちは反共のためにやった仕方のない国の国策であったということを真顔でいう人々が出てくるでしょう。そのときに、大韓民国のプライドを傷つけるのは許さないという、これは明らかにかつて従軍した、あるいは軍属の人々たちの反発があるかもしれません。つまり歴史は今、私たちに国史という形で歴史の清算を迫っているのではなくして、この国史というものを乗り越えてそこに、国の内部に囲われている共通の問題を人々が支配と被支配、差別と被差別の関係にありながらも共にその問題に目を向けようとするそういう時代に我々がたっているということをですね、私たちは素直にそれを認めていかなければいけない。だから藤岡さんにせよ、西岡さんにせよ、あるいは林某という小説家にせよ、あるいはさまざまな小説家・エッセイストにせよ彼および彼女らの中にある、日本人でなければ夜も明けない、こういうような人々が今でもいる限り、私は明らかにいつでも国史の下に記憶を改鼠し、そして記憶の共同体がもうひとつの共同体と激しく相争うということが出てこないとも限りません。
  もっと具体的にいうと、私は国民というものを作り出すものが時間でいうと記憶であるならば、もう一つ国民を構成する上で決定的なファクターは、国民の空間、つまり国土でしょう。具体的にいえば領土問題。つまり、日本と朝鮮半島、日本と中国との領海および領域をめぐるさまざまな紛争が今後、この記憶の問題から今度は横に広がっていく可能性がある。それくらいに、現在の東アジアにはかなりきな臭い情況が潜在的には充満しているということです。今の東アジアの状況を考えると、今後かなりの程度のそういうシリアスな問題が出てこないとも限らない。で、こういうことを私たちは踏まえていくならばこの自由主義史観といわれている問題がどんなに私たちがそれと向き合わなければならない、かなりシリアスなテーマであるかということを、皆さんもう大体お解りになったと思います。

歴史を語る生きた言葉を
  さあ、そこで、最後に私はその問題からもう一度冒頭の話に戻して考えていきたいんです。最近ある新聞のなかに入試社会という連続ものをちょっと見ました。試験社会といったらいいんでしょうか。三才四才の子供に対して三十代の、僕より下の世代がせっせと小学校を、私立学校か何だか知りませんが、そこに入れるためにせっせと塾に通わせる。そのなかの親のあるコメントが、もちろん新聞記事ですからかなり歪曲されてるかもしれませんがこういう発言なわけですねぇ。そんじょそこいらの公園で遊んでいる子供たちと比べると、ここの塾にいっている子供たちとはやはりかなり違う、と。つまり、三才の子供、四才の子供をつかまえて、そんじょそこいらの子供と、この塾に通っている子供とが違うということをアプリオリに言えるこの三十代の、しかも高等教育を受け、そしてかなりの程度インテリジェンスの高い、そして有名な企業に入っており、しかも自分のパートナーも有名な女子大学を出たとおぼしきこのカップルの言っている、この違いというか差別というか、いや、これはかなり平均的ないわゆる中産階級。
  私はそれを見たときに、私がまず思ったことは、これではないだろうか、と。つまり自由主義史観か反自由主義史観かなんていうのはこういう親達にとってはどうでもいいことなんではないんだろうか。彼等にとって一番大切なことはどんな歴史観を教わるかということよりは、子供が入試のテーマとしてそれをこなし、そしていい大学に入りいい会社に入り少しでも差別化ができ、自分より少なくとも上向きのあるステイタスを得ること。そうすると彼等にとってイデオロギーなどどうでもいい、いや少なくともわれわれが目くじらをたてて自由主義史観か反自由主義史観かというような論争を彼および彼女らが聞いたときに、おそらくあくびをしながら、そんなことよりはできるだけ早く自分の子供に試験のテクニックを教え、そして可能な限りいい塾を見つけ、というふうに彼および彼女らは考えるんじゃないだろうか。ここに普通といわれている人々のある意識が露呈しているんじゃないか。そうすると僕はいったい反自由主義史観、つまり自由主義史観をターゲットとしてそこに批判の刃を、いわば何とかして振るおうと思いながらも、彼等はもしかしたらこの二つの間の対立関係を傍観している、それこそ観客にすぎないんじゃないだろうか。そして彼等が、自分が観客ではなくてそこにある舞台で踊らなければならなくなったときに彼および彼女らはオフィシャルヒストリーといわれているものがそういうものになればそれに右へ習えするんじゃないだろうか。つまり彼等にとって一番大切なことは、その一つの社会のなかでこれがオーソドキシィだといわれてるものにしがみつき、それに寄り添い、そして可能な限り他人との差別化をはかるというところに自分のアイデンティティを確かめあう、こういう構造なんじゃないだろうか。そうしたならば、彼等はおそらく自由主義史観と呼ばれるものの教科書も読んでないだろうし、自由主義史観を批判する本も読まないだろうし、またそれについて論争があるということすらもおそらく知らないかもしれない。知っていたとしても、あれはごく一部の識者の何か訳の分からない不毛な、為にもならないある議論にすぎないと見ているかもしれない。いやおそらく私が思うに、それがかなりの程度の多数を占めているんじゃないだろうか。
  そうすると自由主義史観を唱えている側もある種のジレンマに立たされているんじゃないだろうか。つまり彼等はそういう無関心な人々にいかにして自由主義史観を浸透させるかという場合に、かなりの程度、彼等ももしかしたらその壁に突き当たっているかもしれません。しかし、この無関心と考えられるこの膨大な数の人々はその自由主義史観がオフィシャルヒストリーになりそれが教科書に採択され、国全体が大体そういうものをオフィシャルと考えるならばおそらくそれに諾諾と従うでしょう。で、そういうものであるということですねぇ、そこに僕はかなり自分たちが自由主義史観を批判するというときにどういうような語りで批判するのかということが、今試されてるんじゃないだろうか。それは自由主義史観を唱えている人々達を私個人に言わせれば、批判するだけじゃなくて、そのどうでもいいと考え、そして他者との差別化のゲームのなかであくせくとし、そしてあくせくと思わずにそれを自分の生きがいとしている人々に、歴史の記憶について自分がそれをまともに考えていけるようなそういう響けあう言葉をわれわれが創れるかどうか。それがおそらく、最終的に自由主義史観に対抗して私たちが、というよりは少なくとも私が考える自由主義側を乗り越えている、乗り越えていくことなんじゃないだろうか。そのためには、私たちというか私はそれを批判する新しい語り、新しい言葉を、やはり紡ぎだしていかなければなりません。それはただ単に自由主義史観が残虐無道な、そして歴史を改鼠する右翼的な主義者であるということを批判しただけではすまない、と思うんですね。やはり彼等を凌駕できるようなやはり歴史の語り、そして社会の在り方についての、何か私たちがそれを銅ができるような一つの考え、こういうものを創り出さない限りその膨大な数の、あの神戸の事件で起きた様なそういうものをつくりだすような人々、私はたぶんあの子供も、そう、今申し上げたようなさまざまなその差別化のゲームのなかの末端を担いその子供が今度はいわばハンディキャップにあるような子供を犠牲者にするという、そういう差別化のゲームをいわば延々と繰り返しているこの社会の在り方というもの、これに対してですね、私たちがそこに何らかの問題提起ができるような語りでない限りどうも私は批判の声は相手に通じないんではないかという気がするんです。
  で、それはかなり自覚的な市民や自覚的な運動家や自覚的な学者を別にすれば、そういう人々をも、あるいはそういう人々に共鳴できるような言葉を私たちはどう創れるか。そのことが今一番問われてるんじゃないでしょうか。それは紋切り型の戦後民主主義の言説を以て彼等を批判することではないと思います。生命を大切にしよう、人権を大切にしよう、これで本当に神戸であのような残虐無道な行為を行なった子供を説得できるでしょうか。ヒューマン・ライツ、生命を大切にしよう、これを何万回繰り返してもその子供には多分荒野によばわる声としてしか彼にとっては響かないでしょう。それくらい戦後民主主義の言葉というものが生命力を失ったということ、これは私は率直に認めざるを得ない。にもかかわらずこの戦後民主主義は膨大な犠牲の上に成り立った一つの拠り所であることもまた事実です。亡くなった丸山真男は、大日本帝国の実在に賭けるよりは戦後民主主義の虚妄に賭ける、と彼はいいました。その虚妄としての戦後50年としての戦後民主主義は本当に実在になったんでしょうか。これをやはり虚妄として戦後民主主義を葬り去りたいという言葉も一方で出てきました。しかし、丸山さん達の、戦後の知識人達が賭けたこの戦後民主主義はかなりの程度形骸化してきたこともまた事実です。やはり私たちは戦後50年経ってそのなかに形骸化したものはなぜ形骸化したのか、なぜ自分達の言葉はそのような子供達にやはり伝達できない、また、そのような形骸化した言葉になってしまったのか。そのことを、もう一度やはり考え直しながら新しい語りとしての、このポスト50年の歴史を語るようなものを今紡ぎだしていかなければならない。かなりの程度私は複雑で難しい作業だと思います。

新たなる機軸 -記憶をめぐる内戦-
  社会主義が崩壊しそしてさまざまなイデオロギーや理念が踏みにじられていくなかで、最後に私たちは何を拠り所として一つ一つが結び付くのか。このことをもう一回自分に戻って見つめ直していかなきゃならない。さまざまな幻想が消え去っていったときにやっと私たちは自分に戻って自分の頭で考え、自分の言葉でもう一度戦後民主主義を捉え返しそしてそこから受け継ぎ物は何であり、何を以て語りをもう一回創り出すのか。私は戦後民主主義を決して全部虚妄だとは思いません。今の日本という社会のなかで、沈んでいくこの泥船としての日本の国のなかでにもかかわらずそこから守り通さなきゃならない宝物があると思うんです。それを私たちは戦後民主主義のなかから発見しなけりゃならない。それは決して日本人だけの戦後民主主義だけではなくしていわば日本人以外の人々もひっくるめた戦後民主主義だったと思いますね。で、そこにやっといま様々な今まで語り得なかった人々がこの戦後民主主義の、このある形骸化した部分にいろいろな声として、内外からいろいろな声が出てきている。その声をまともに引き受けていくことによってしかもう一度私たちはこの戦後民主主義のなかの、いま日本という沈んでいくかもしれないこの泥船のなかからもう一つの新しい船を作り出すのにどうしても必要な宝物を、私たちはやはりそこから引き出していかなきゃならない。で、そういう点では歴史というものをもう一度皆さん見直していただきたいんです。
  僕はナチスドイツの時代にスペインで自殺したヴァルター・ベンヤミンという、このフランクフルト学派にいたこの人が大好きで『歴史の天使』というこれはまぁヴェンヤミンの書いた有名なエッセイがあるんです。ヴェンヤミンは未来指向的な歴史を否定しました。彼がいう歴史とは死者をよみがえらせること、そしてかつていわば自らを語り得なかった敗者として扱われた人々を蘇らせることが、それが歴史を新しく蘇らせることなんだ、と。今この自由主義史観を唱えている人々はこの歴史の勝者として国史というものを立ち上げ国の栄光を笠に着て無残な敗者の上に成り立ってきた多くの人々の行進に連なり、そして戦利品を彼等はもう一度分け前にあずかり、死者をもう一度殺すことによって今から生きてかなきゃならない人々を実際に殺すかもしれません。
  ベンヤミンが言う通り、歴史の天使は言葉の辺らかな意味でよく使われる未来指向ではなくして、過去の死者をもう一度よみがえらせるということはそのことが歴史を真の意味でよみがえらせるということであるとすれば、ベンヤミンが言う通り私たちは歴史というものと向き合うことによってしか今とこれからの未来というのは我々には見えてこないと思います。その意味で、この自由主義史観が唱えている問題はかなり今後の日本のいわば行く末を考えていくときに重要なことだと思います。僕の発言は後にある雑誌の中にも使われていましたが、僕はこれを内戦だと思いました。シビル・ウォーだと。言葉を通じた内戦が行われているわけです。記憶をめぐるシビル・ウォーです。これは、場合によってはテロになったり相手を傷つけたりするところまでエスカレートするかもしれません。しかし、言葉という武器を通じて、今日本の中でこの記憶の内戦が行われるかもしれない。彼等はそれを明らかに意図してるわけですね。国民と非国民を分けようとしてるわけです。この自由主義史観に連なる人間を日本人としての国民、それに反対する人間をたとえ日本人であっても彼等は非国民というでしょう。この従軍慰安婦の問題についてずーっと追及してきた歴史家に対して、お前は精神的におかしいという暴言を吐いた人間がいますけど、これは、彼がいわんとすることは、日本人であってもお前は非国民だといってるわけでしょう。で、私はもともと非国民です。だとすれば、この歴史の記憶をめぐる内戦、これがもしかしたら護憲か改憲か、平和主義かあるいは国の再武装かという問題の機軸に変わる新しい日本の社会と政治を考えていく機軸になるかもしれません。冷戦体制の中での機軸は平和主義かあるいはいわば再武装か、憲法第九条か改憲かということが一貫して戦後50年の機軸でした。それは、もう冷戦が終わる中でぐちゃぐちゃになり、かなりあいまいになってきています。しかしこの歴史をめぐる問題では明確にある対立の機軸が引かれつつある。これは21世紀の日本を占う意味でも、かなり重要な機軸であり、この記憶をめぐる内戦、これがいま始まろうとしているということですねぇ。そのぐらいのつもりでこれからの事態を、ま、見ていっていただきたい。
  こういうふうに、まぁ考えて、私の雑駁な話に代えさせていただきます。御静聴ありがとうございました。

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